フリーライダで言及したいこと(2)
フリーライダがどういったものかについてはすでに過去で適当に触れています。そこで、次は話をしやすくするために恣意的に言い直してみましょう*1。
- フリーライダとは仕組みの隙間を巧みに利用することで、仕組みの維持に必要なコストの負担を過剰に回避する戦略をとる人々
- フリーライド行為自体は合法的である
- フリーライダが負担を回避したコストはその他の人々に廻される
- フリーライダが十分に増えれば仕組みは当然に破綻する
- フリーライダが増え、そのことが周知されるとその他の人々が維持コストの負担をする気力が失わる
- その他の人々の負担が減れば仕組みの維持は困難になる
- フリーライダもその他の人々も仕組みが破綻すると等しく困る
フリーライダという語にボクはこういう印象をもっています。つまり、フリーライダという語を使ったのは「現状が続くと他の人たちが負担の重さと気力のスポイルでくじけて仕組みが維持できなくなる」という、二つの小集団からなる一つの大集団という関係性を導入してあれこれを見てみようとしたためなのです。
しかし、この路線にはひとつの欠点があります…というとこで一休み。消えるとショックですからな。
*1:一旦書いたのが操作ミスで消えたので、書き直して張り付けました。