操り人形

神饌喰い。が今度は「操り人形」に触れてるのでまたもトラックバック。今回は軽めですけど。

……でもそれが、実はゲーム的にもなかなか有効な戦術だったりするから、それが二重に恐ろしいんですね。実際に、王権を維持し続けて王城関係の建物カードを立て続ける戦術をとるというのは、それなりに有効なやり方なのです。

と白河堂さんは言ってますが、「暗殺者で国王を殺しつづける」という戦術はあまり有効ではないでしょう。この場合、理想的なのは「誰かに暗殺者で国王を殺しつづけてもらう」です*1

少し暗殺者の能力について考えます。

暗殺者のメリットとデメリット

暗殺者は以下の3点が魅力であるキャラクタです。

  1. 暗殺者に暗殺されない
  2. 泥棒に盗まれない
  3. 誰かを暗殺できる(大抵は)

で、3つめの「誰かを暗殺できる」というのはそれがゲーム上で有効に機能するならば「上位者(トップ)を暗殺できる」ということを意味します。ところが「上位者(トップ)を暗殺できる」という機能は、自分以外が暗殺者になって仕事をやっても果たされるわけで。実質的に3つ目はメリットとして軽視できます。

一方で、暗殺者には致命的なデメリットがあります。

  1. 暗殺者以外のキャラクタ能力を得られない

これは当たり前ですが、非常に大きい。

操り人形における暗殺者のあり方

総合すると以下ようなバランスになるんじゃないかしら。

  1. トップは常に暗殺者の影に怯える運命
  2. トップは暗殺者を飼い殺しできると嬉しい
  3. 暗殺者の行使は下位者同士で押付けあう汚れ仕事

まぁ、これはこれでドイツ(にやがてなる地域)の物語っぽいわけですが。

ゲームと物語は一対一しないんじゃないかな

あと、物語からゲームを導くのと、ゲームから物語を紡ぐのと、どっちも一対一の対応じゃないですよな。

だって、たとえばボクは双六(バックギャモン)に適合する物語として冷戦時代のスパイ戦をあげるんですが、それをして冷戦以前は双六(バックギャモン)のゲーム性に対応する物語が存在してなかった、なんて言い出したらトンデモですもん。多対多というか。

だからまぁ、良いゲーム性を作ることと、ゲーム性に良く馴染む物語の皮を見つけることは、どっちも大切なんだと思う次第*2

なんかとりとめもなくて、結論がよくわからない文章ですな。いかんなぁ。

*1:そんなことが可能とは思えませんが

*2:尚、ゲームが先か物語が先かなんてのは結論が出ない話で。動いている物語を見てその骨格としてのゲーム性を想像するなんてのもありあり