中高生の頃にFEARゲーがあったら
中高生の頃にFEARゲーがあったら、なんてふと考えたりすることがあります。
遊ぶ時間はあった。でも教室を追い出される時間はシビアで、セッションの長さは準備を含めても3時間とちょっとしかなかった。時間の読みにくいリドルよりも、ダンジョンや戦闘に重点をおきがちでした。
遊ぶ時間はあった。でも週に何回もGMをやろうとすると、複雑なシナリオとかそうそうやってる暇はなかった。映画よりも時代劇や特撮、アニメといった紋切り型なドラマを参考に、量産してとにかく遊んだ。
遊ぶ時間はあった。でもお小遣いでは公共施設も借りるのは大変で、コンベンションなんて参加するのは難しく、仮に参加しても終わった後の食事なんてもってのほかだった。
時間はあったし、とにかく遊びたかった。友達と放課後にわいわい遊ぶというのが楽しかった。難しいこととか高尚なことは考えず、粗削りでも構わず、とにかく遊んだ。
あの頃に欲しかったものが今はあるのかなと思います。今のボクは使わないものもあるけど、あのときにあれば大いに役立てたでしょう。
……なんて感傷を抱くのは。何かしら心境の変化があったのかもしれません。年寄りになっただけかもしれませんが。