内輪を切る

ボクは「面識」は状態であり「内輪」は行為と考えています。内輪は面識を前提としているため、両者は混同しやすいですが、同一ではない。

どれだけ交流があって互いの個性を把握しているかということと、閉じた輪を作ることは別です。これは内輪の度合いが同じ環境でも強弱があるという実感によります*1

この認識は内輪行為はコントロール可能という考えにつながっています。そのためにボクはセッション中の会話を観察し、必要に応じて雑談している輪を切る(話を切る、和を切る)ことがあります。

でも、まだなかなか上手くいかないので悩んでます。うーん。

*1:薄弱な根拠です