PCは特別か
「PCが特別な存在なことに違和感を感じる」という疑問を受けたことが幾度となくある。違和感を持ったままセッションするのも楽しいけど、生真面目なプレイヤは気をとられてプレイに集中できなかったりすることもある。だから、その人に合わせて色々な「解釈」を提示して、違和感を誤魔化してきた。以下はそのうちの一つ。
- マスタ
- 「……彼は平凡な冒険者だよ*1。普段はさして危険でもなければ華々しくもない冒険稼業を全うしているんだ*2。しかし、その全てをセッションで遊んでいても詰まらない。だからセッションで遊ぶのは、彼が人生で遭遇する冒険の中でも、とびきり危険で、とびきり興奮して、とびきり素敵なものに限るのさ」
- プレイヤ
- 「つまり、PCが世界にとって特別な存在なわけではなく、PCが遭遇するものの中で特別な冒険を抜き出して遊ぶってこと?」
- マスタ
- 「本当に特別な冒険になるかはプレイヤである君たちの腕前にかかってるけどね」
この方向性をフォローするには、セッションとセッションの間でどのように過ごすか、どんなことが起きたかをランダムに決めるルールなどがあると吉。逆にキャンペーンで「特別な冒険」が短期間に連続する話にすると、この解釈は苦しくなる*3。
GM紹介とマスタリングの違い
GM紹介で失敗した話でしたコメントについてコンベンション・GM紹介で言及があったので軽く。
コンベンションマスタってのは難儀ですよね。マスタとそこまで関係ないはずのプレゼン力とかを求められるわけですから。GM紹介で失敗した話
うにさんのGM紹介で失敗した話に寄せたコメントで、アキトさんが「マスタとそこまで関係ないはずのプレゼン力とかを求められる」と書いてますが、これは間違っていると私は思う。
よっぽどアイテムが揃っているシステムとシナリオでなければ、プレイヤーに与えられる情報=PCが見ている情景、直面している状況、その他手に入れた情報、全てはGMから口頭で伝えられます。これらの情報を分かりやすく伝える技術はプレゼンテーションの技術と重なるところがあると思いますが、どうでしょう?コンベンション・GM紹介
間違ってるとは思いません。ま、これは言い方の問題ではあるか思いますけど。
- 情報を分かりやすく伝える技術はマスタリングでもプレゼンでも重要
- GM紹介(プレゼン)は関心の度合いが低かったり、他にも選択肢がある人を対象としている。一方でマスタリングは関心の度合いが高まっていたり、他の選択肢がない人を対象としている。
- 前提条件が違うのだから別の技術体系として認識することが混同を避ける上で有益
GM紹介をする側が忘れていることは2点目と思っています。簡潔に言ってしまえば、プレイヤ参加者は必ずしもGM紹介のすべてを真剣に聞いてるわけではないのに、それに気がつかないGMが少なくない。
これは少し具体的に考えればわかります。例えばGMが6人居て、各2分のGM紹介をやり、プレイヤ参加者は第一希望から第三希望を用紙に書いて提出する形のコンベンションがあるとしましょう。
GM参加者は自分に割当てられた2分間を集中するだけで、他のGM紹介は適当に聞き流せば済みます。
一方でプレイヤ参加する人は12分の間、集中して話を聞かなくてはいけない。その差は実に6倍なわけで、同じ集中力が発揮されると期待するのは無茶です*1。しかもそのうち3卓は希望として出すことさえない「自分とは無関係」な紹介です。実際は無関係と決まるのは全ての紹介を聞いてからなわけですが、それでもプレイヤ参加者は「半分は聞き流せる」という事実を頭の片隅で認識している。
結果として、GM紹介においてプレイヤ参加者は「話を真剣に聞くかどうかさえ、話を聞きながら決めている」わけです。
一方で、いざ卓が決まってからは環境が一変します。卓を途中で変更することは困難ですから、プレイヤ参加者は卓のGMから話を聞くという選択肢しかありません*2。そしてマスタリングにおいて、プレイヤ参加者はGMの話をきちんと聞くことが自分の利益(楽しみ)に繋がるのですから「自ずと耳を傾ける」わけです。
この違いの上で整理すると、マスタリングとプレゼンは別ものと考える方が利益が大きいんじゃないかと考えてます*3。たとえ重複する部分が多いとしても、です*4。