人生ゲームはゲームか

ゲームの本質って?を経由してゲームの本質の話を読む。

ふと疑問に思ったので思うままに書いてみる。

しかし、意志決定の要素があれば良いというわけではない。先程例に挙げた人生ゲームの中にも、途中でコースを選択できるものがあるが、これをプレーヤーが選ぶ要素があるからと言って、人生ゲームが「ゲーム」に昇格するわけではない。なんとなれば、その意志決定は目的達成に結びつくとは言えないからだ。2つのコースのメリットとデメリット、それにより勝率にどのような影響を及ぼすか、それが見えない状態での意志決定はランダムと何ら変わりない。

人生ゲームを何度か遊ぶなり攻略本を読むなりして、2つのコースのメリット/デメリットを理解し、それが勝率にどのような影響を及ぼすかが見えれば、人生ゲームは突如としてゲームになる……ということなんだろうか。ここのところがよくわからない。

悪玉菌TRPGプレイヤ(GM)

悪玉菌オタク図鑑を読む。で、大いに苦笑する。どうも腸内改善計画(イヤン度最強)から続いている話題らしい*1

とりあえず、こういう御仁をにこやかに対処できるさっぱりしたビフィズス菌役になりたいものですねー*2

*1:ちなみに「TRPGユーザ⇒オタク」という単純化の上で書かれてます。これはこれでアリですな

*2:ボクはうすくちさっぱりライトなTRPGユーザなのでまだムリかもしれませんが!

参加者とスタッフの比較

前日のコメント欄で口に出したので、適当にやってみた。

  1. スタッフならほぼ確実に得られるアドバンテージ
    1. 主催者や他のスタッフに面識がある
      1. 会場に顔見知りが居る
      2. 情報の共有を図ることが容易である
    2. 参加者入場前に会場に立ち入ることができる
      1. 会場施設について見て回る時間がある
  2. スタッフが得やすいアドバンテージ
    1. 蓄積された情報を得ることができる
    2. 地の利がある

他にもいくらもあるだろうけど、スタッフは恵まれている。もちろん作業もあるけれど、優位者であると言えるだろう。そういう立場でどう振舞うかについては個人個人の考え方にもよるだろうけど、余力がある側が歩み寄るのがスムーズな進行には早道だと思うのですよ。