現代ホラーと携帯電話

携帯電話があるとシナリオが壊れる、なんて話がたまにあるけれど。「繋がる筈の携帯が繋がらない」から恐怖判定をするようにすれば良いような。

「開く筈の扉が開かない」と同じように、それぐらいの不条理は気にしないのではないかしら。もちろん濫用は興を削ぐけど、携帯を便利に使いすぎたら、クリティカルな所で恐怖に落とされる覚悟はしないと、とか思う。