TRPGと"文学"について

文学アレルギーと権力闘争という日記をid:xenothさんが書いていたので読んでみました。思ったことをつらつら。

ボクは「TRPGのことを文学と絡めて語る人」に対して、心理的抵抗感を感じます。これはいくつか理由がありまして、ひとつは「ボクに文学的な教養が絶無なので文学を絡めてくる人の話を理解することが難しい」というもの。
自慢じゃありませんが、ボクは小説を読まない方でして、読んでる本の比率としては小説は1-2割ぐらいでしょう*1。例えば日本文学(近現代文学)と呼ばれるようなジャンルは大変酷くて、絶無といって良いほど読んでません。だから三島由紀夫とか言われても、誰だっけと思うのですよね。文学を語る人って、作家名とか作品名をぽんぽん出してくるという印象があるのですけど、ほとんどボクの脳みそにはかすりもしないのです(笑)*2

そして「ゲームをゲームそのものと関係ない価値を見出してもロクなことがないと思っている」ということもあります。例えば「このゲームタイトルは高い教育的効果を持っている」「このゲームタイトルは高い文学性を持っている」といった、ゲームの楽しさとあまり関係ないところに拘ると、ゲームそのものの魅力を損なう暴走を招く印象があります*3

最後は「文学と絡めて語る人で、一緒に遊んでTRPGが上手いと感じた経験がない」というもの。まぁ、TRPGは多様な楽しみを持った遊びですから、ボクの楽しみ方に対して適合性が高いか低いかという話であって、その人たちがTRPGが下手ということを意味するわけではありません。ボク自身、かなり特殊な楽しみ方をしてる可能性もありますし。

そんな感想です。

*1:読書に漫画を入れると、おそらく5%にもならない……って、それはそれで別の問題を感じますね

*2:自分の使っている語とそれが持つ文脈を相手が共有できているか意識せずに語る人にも苦情は言いたいですけど

*3:TRPGに教育効果・文学性が無いという主張ではありません。ボク自身、その昔には教育効果を主張しようとしたこともありますし