するができる、しないができない

鏡さんからTBを貰ったので続きます…が、どうも混乱しています。「やるかやらないか、だけが重要」の用語定義を引用して、混乱について追っていきましょう。

  1. 「殴り合う人々」…仲間と意見が合わない場合には「殴り合うコミュニケーション」ができる者
  2. 「殴り合わない人々」…仲間と意見が合わない場合でも「殴り合うコミュニケーション」ができない者

殴り合いをする(=殴り合う)人々が、特定のコミュニケーションが「できる」者ということは、鏡さんの術語「する」というのがボクの「できる」に対応しているということなんでしょうか。

だとすると、「やるかやらないか、だけが重要」という主張は「できるかできないか、だけが重要」と読み替えるべきなのでしょーか。それとも「殴り合いができる人々」という術語が長ったらしいから省略しちゃってるだけなのかしら。

…何か入口から「捻れ」のようなものがありそうで、一気に奥に踏み込みがたい印象があります。のんびりとやってくしか無いかな。

反省会はまわる。ぐるぐるまわる

反省会の弊害についてはあまり大したことはなくて。ひとつは「セッション後の反省会は生産性が低い」ために「費用対効果があまりに悪い」という点。
根拠としては体験がとにかく沢山と、簡単な理論があるのみです。

反省会な流れをざっくり書きましょう。

  1. セッションに問題点がある
  2. 問題点が提唱者に認識される
  3. 問題点がグループ内で共有される
    • グループのメンバーにも同じ問題点が認識されている
    • 提唱者がグループ内に共有できるように問題点を提示する
  4. 問題点の対処について対話が行われる
  5. 対話の中で解決策が発見される
  6. 解決策が問題人物に受容される

ちなみに、反省会の環境は以下のように想定しています。

  1. 長時間のセッションによる疲労
  2. 問題点を解決することへの動機付けの不在
  3. セッション内容についての客観的根拠の不在

乱暴に各ステップが五割の打率とすると、(最初のステップは数えないとして)累積して32分の1、4%の成功率となります。実際はここまで低くなるとは思いませんが、あまり期待はできないんじゃないかなー。

他にも弊害はあるかと思いますが、一番シンプルなものを最初に出してみました。工夫を凝らせば対策はできるとはおもいますけど。

呪術的思考に注意

「類似しているもの同士には関係性がある」という思考があります。これ自体は人間の知性が持つ素晴らしい特性のひとつで、インスピレーションの源泉としてとても大切なものです。でも、呪術的思考に陥ったままで進まないように注意しないといけません。

しかしこれは同時にどこからともなく「トンデモ」で「チープ」にする上では便利な手法ではあります。「おいおい、いくらなんでもそんなわけないだろう(失笑)」と思わせることで笑いを誘うボケ技とでもいいましょうか。

  1. 同じ音(似た音)だから関係がある
  2. 同じ字形(似た字形)だから関係がある

といった論理展開は、読み手の心内で寸足らずの漫才を
生み、笑いに繋がっているんじゃないでしょうか。

  • 原始的思考「なるほど」
  • 科学的思考「なんでやねん。んなわけあるかいっ」
  • 原始的思考「ありゃー」
  • (観客席でどっと笑い声)

…この論法の悩ましいのは、音や字形が似ていることを発端に研究したら、本当に関係があったという現実が沢山ある点ですが。

だから。ボクは「諧於論事」という文章に出会っても、そこでの「論」という文字が今日的な「論じる」と等しい、とは俄かに思えないのですよね。